ひとつの建築が人に幸をもたらし、地域に溶け込み、永く愛されること
大衆の共通解ではなく、個別最適解で社会をつなぎ直す
日本は近代から今日まで多くの建築が建てられては消え、また建てられと代謝を繰り返してきました。その速度は緩やかになるものの、20世紀のマスプロダクト的な価値観だけでは多様なライフスタイルの要求に対応した建築が生まれにくくなってきているのも事実です。それゆえ当事務所では、設立当初から建築主様個々人の要求条件と真摯に向き合い、場所ごとにフィットする建築を目指すべく、「ひとつの建築が人に幸をもたらし、地域に溶け込み、永く愛されること」を大切なテーマとしてきました。それぞれの想いがかたちになり、それが時代を超えても新鮮さをもって次のユーザーにも愛される。これは今日まで多く見られた人の意識を街から遠ざけ、地域の風景を無視し、短期に廃れ飽きられていく「類型化され大量消費されやすく殺風景な量産型」とは真逆の考えです。
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課題先進国ならではの答えがあるはず
経済再生が課題になっています。経済成長速度が緩やかになり、少子高齢化の中で日本は課題先進国といわれるようになりました。教育、福祉、産業、都市様々な環境のあり方が70年前に描かれた世界観とは違います。住まいについてもすでに大きく変わっていますが、家とはこうあるべきという固定観念はなくなりました。これからも柔軟に変化が求められるのだと思います。コロナ禍からいまだに抜け出せない現在、ありうべき家論における自宅療養は困難を極めました。建築の環境は基本的に人の生命と財産を守るための器です。装飾はそれを満たした上での余裕の現れでしかありません。しかし、どうでしょうか、コロナ禍では多くの人が借りたオフィスの、住まいの維持に困難をきたしたのも事実です。課題は直面しなければ生まれないかもしれませんが、社会が直面した以上、これからの建築のあり方はこれらにも対応しなければなりません。住宅について見てみれば、家族構成では大家族の家が減り、核家族の家が増えました。今は単身世帯のほうが多いそうです。一部屋の広さも衣服に例えるなら、LサイズからMサイズへと変化しました。また、農家の家と社宅とでは立地条件が大きく暮らし方を分けるように、どこで働くか、どこに住むのかで家の存在意義も変わりました。テレワーク普及は今ひとつですが、オフィスも閉鎖的で緊張的で量産可能なユニバーサル・スペースよりも、できるだけリラックスできて自然を取り入れることができる環境が好まれます。これからの暮らしはどのようにアップデートされるのが良いでしょうか。前見建築計画では人がモノや場所と快適に向き合え、結果的に人と人がその場所でつながる楽しさや尊さを感じられる空間設計を意識します。
それぞれの等身大を問い直す
一億総中流社会が到来したときは人生「すごろくゲーム」が意識されました。学歴を身に着け、良い会社に入り、家をローンで買い、終身雇用のもと返済計画を建て、子どもがまた学歴を身につけ巣立つまで働き、リタイアするゲームです。まさにありうべき家論です。子供部屋はマスト、nLDKはマストというように、誰もがその価値観で建てれば安心できる時代でした。もちろん一定数その価値観は続いていくでしょうが、経済再生が課題となる時代では持続性は乏しくなっています。多様な働き方や家族のあり方に派生すると、従来の価値観が重苦しくなります。衣服で例えるなら「どうも窮屈な着心地」に変わります。それでも、「もっとコンパクトでいい、けれど各部屋が有機的につながって広さは感じたい。」「やがて老い、管理が大変になっていくから広い庭まではいらない。けれどもっと植物や自然を感じたい。」という具合に、あくまで個人の内面から生じるごく自然な欲求の「拡大と収縮」を受け止められる質的柔軟性は内在し続ける必要があります。家を持つことにどこか気軽さがあり、生活様式の変化に対しても柔軟性があり、さりげなく機能性もある。そんなカジュアルな環境体や等身大というナチュラルなスケールメリットへの希求も増えてくるでしょう。しかしそれは、単に家のバーゲンセールが増えるということを意味しません。戦後築かれた家の概念を押し広げた家が増えるという意味です。
とりあえず右倣えをやめてみる
隣の芝生が眩しく見えることがありませんか?著名人のステータスを堅持するための豪邸に憧れますか?でも、参考にしてもほんとうの意味での自分のものにはなりません。彼らの中には時間をかけ哲学的に考え抜いて建てた建築と、ハリボテの豪邸に二分できます。前者を選ぶのは良いことですが、悲劇的なのは、後者です。とりあえず雑誌やチラシを見比べてどちらにしようかなと選ぶのことをやめまてみましょう。そして、自分がどんな快適な暮らし方を欲しているか、想像を巡らせてみてください。でき上がりの建売りや広告の間取りに自分を投影するのではなく、自分の思う空間像を創るんだという意思が建築家を動かします。晴れた日は屋根の上でご飯を食べたい、背の高い観葉植物をたくさん置ける植物園のような家に住みたい、将来は1階部分まるごと子供たちの読書ペースとして開放したいなど、私欲だけではなく、まちとコネクトできる装置としてもいろんな意思があるはずです。意思を掘り起こしてみてください。
最低25年後も使い方が想像でき、用途変更など更新もできる戦略と冗長性を
極端にSGDs信仰に陥る必要はありません。大事に考えられた建築は自ずとその条件を備えるものです。しかし、資源を輸入に依存する我が国におけるこれからの住まい・暮らしは、グローバル経済の危機や持続可能性も踏まえたレジリエンス(弾力性・回復力)やリダンダンシー(冗長性・耐障害性)は必須になってきています。そして、より一層地域産業にも目を向け、アフォーダビリティ(取得容易性・購入容易性・入手可能性)を意識した建築が好まれています。その上で、不必要に大きくなりすぎない住まい方が推奨されるでしょうし、時には地域社会に貢献できるような開かれた住まい方や、将来用途変更したいときに応えられるような、多目的な空間の織り込み方なども大事な要素になってくることもあるでしょう。それは他のビルディングタイプでも当てはまります。一棟の建築にかけるリソースをできるだけ減らし環境負荷を抑制しながら、しかし物件の社会的利益はできるだけ上向きになる戦略も求められると考えます。減価償却資産上、20~22年経ったら無価値になってしまうような木造住宅は制度で見直せるかもしれませんが、なかなか見直されません。しかし、制度に頼らずとも他者からも素直に「これは良い建築ですね」と言ってもらえるくらいには整えておくべきです。最小単位である住まいをベースにスケーラブルに他の建築についても過ごし方、暮らし方、未来への託し方についての思考を巡らせたいと考えています。
ひとつの建築が人に幸をもたらし、地域に溶け込み、永く愛されること
には、そんな背景があります。
最後に、前見文徳は個人店舗、個人住宅が中心のように思われがちですが、独立前は大手アパレルメーカーの店舗や集合住宅、日本科学未来館企画展、青山スパイラルホールでの企画展などの中規模展示会場や、小規模ながら寺院建築など個人・法人問わず、またRC造、鉄骨造、木造などの構造種別問わず、様々なビルディングタイプを扱ってきました。
プロジェクトごとの性格を見極めながら最適な構造・設備エンジニアリング体制を構築し、その土地ごとの特色を読み解き、お客様一人一人の暮らし方や要求条件と真摯に向き合い、対話を重視した設計・監理に取り組んでおります。
耐震性能確保による躯体の安全性はじめ、快適に過ごすための室内環境への配慮などを丁寧に織り込み、その土地の文脈の中で愛着が持てるオリジナルな環境体を提供いたします。
お話する中で解決できること、理解を得られることは少なくありませんので、どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。
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fig. 永く愛される建築を実現するためのキーワード
設計検討段階において、様々なレベルでタグ付けと相互関連付けを行いながら建築としてのまとまりを常にフィードバックする姿勢により、工法や素材、結果としての空間の新規性のみの評価(この評価は前提)だけではなく、既存の地域特性や産業、文化的利点などを考察し、その建築の心理的・社会的意義や貢献度、長期的な維持管理目線、ホスピタリティのようなユーザーエクスペリエンスまで、総合的に設計・評価する態度を備えた建築として設計行為全般を捉える当事務所独自の基本的な考え方、それが《Holistic Architecture》です。